伊予の二名の島までは

国生みと神さま

イザナギとイザナミの国生みですが、天神族が日本を征服していった順番ではないかと思っています。これを前提に国生みについて考えてみました。古事記は何度か飛ばし読みしているのですが、日本書紀は読んでいません。知識は浅いので、何を言っているのかとかいわれそうですが、スミマセンと謝っておきます。

淤能碁呂島(おのごろじま)日本書紀では磤馭慮島(おのころじま)

イザナギとイザナミが降りた島。塩が固まってできた島。

子水蛭子(みこひるこ) 葦船に乗せて流した(虫送りの行事)

子どもを川に流すといえば、モーゼ(モーセ)かどろろの百鬼丸が浮かびますが、どろろは手塚治虫先生の創作ですので、日本の古代史には関係ないでしょう。

ヨケベドは産まれたばかりの我が子をパピルスの籠に隠してナイル川に流した。その籠を川遊びをしていたファラオの娘が拾った。赤ん坊はモーゼ(moses:川から引き上げた子)という名を付けられ、宮廷で王家の子として育てられた。ヨケベドは秘かに乳母に雇われることができ、モーゼに乳を与えることができた。

虫送りとは、農作物に付く害虫を駆除して豊作を祈願する呪術的な行事です。川に流すところもあるらしい。害虫による農作物へ害は、不孝な死をとげた者が怨霊と化し、農作物に害をもたらすといった、怨霊信仰でもあります。虫送りは怨霊を払う呪術です。

インドネシアには「胎盤」を第1子とする考えがあるようです。ヒルコ=胎盤。

淡島(あはしま)子水蛭子とともに子にはカウントされない。

淡島についてはよくわかりませんが、島とは言えないような島。増水すれば消えてしまうような島です。イメージ的には中州の島のように思います。国生みが、天神族の支配していった順番とすれば、次は淡路島なので、淡路島にある中州ということになるのですが。

淡路島には洲本川という二級河川が流れています。

兵庫県洲本市鮎屋(あいや)にある諭鶴羽山地の兜布丸山(かぶとやま)に源を発し、鮎屋川(あゆやがわ)として北流したあと南あわじ市広田で洲本平野に入り、東へ向きを変えて洲本市納で初尾川と合流 して洲本川となり、大阪湾に注ぐ。河川法による幹川延長は約11.5km。 河口から2.3kmの下加茂橋付近までは感潮区間となっている。

洲本市は河口洲の上に広がる低地で、洲本川が氾濫するたびに市街地に多大な被害を被ってきた。古いものでは1764年(宝暦14年)に紺屋町(現在の本町七丁目、本町八丁目の一部)で床上20cmの浸水記録が残されている。また千草川には 江戸時代に築かれた「まい込み」と呼ばれる石組みの水制工が今も残っている。

洲本川 (2018年6月23日 (土) 20:03 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

洲本市が怪しいですね。

子淡道の穂の狭別の島(こあはぢのほのさわけのしま)

淡路島のことです。次は伊予の二名の島と続きます。二名の島よりは別名として神様の名が付くのですが、淡路島にはありません。イザナギとイザナミが天津神に相談した後、性交に成功して初めて生んだ島なのですが、一番目扱いはされてないようです。名の通り粟の国への通り道扱いです。

淡路島を征服し領土としたものの使い道がなかったというのではないでしょうか。

淡路島には約2万3千ヵ所のため池があります。 これは、全国にある約20万ヵ所の1割、兵庫県にある約3万8千ヵ所の6割を占めています。また、ため池の密度(1k㎡当たりのため池数)は38ヵ所で、全国で最も密集した地域となっています。

淡路島にため池が多い理由は様々ありますが、主な理由は次のとおりです。

淡路島は、瀬戸内海式気候と呼ばれる温暖で雨が少ない地域に位置し、全国平均の年間降水量1700~1800mmに対し、1100~1400mmしか雨が降りません。このため、少ない雨水を溜めておけるように多くのため池が築造されました。

淡路島には大きな河川がなく、また、急流なものが多いことから降った雨がすぐに海へ流れてしまい、農業用水を必要な時期に河川から十分取水することができません。このため、河川以外の農業用水源として、多くのため池が築造されました。

淡路島の特に北部では、急峻な山間地域が多く、細い谷筋が入り組んだ地形となっています。このため、大きなため池の築造が困難で、谷筋を少しずつ堰き止めた小さなため池が、数多く築造されました。

日本一ため池が密集する地域「淡路島」

つまり、当時は農耕には適した土地ではなかったということです。

伊予の二名の島からは >>

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