淡路島の伊弉諾神宮に参拝1

初の県外神社参拝

9月の3連休初日に神戸に行く用があって、時間もあったので淡路国一宮、伊弉諾神宮に参拝してきました。神戸淡路鳴門自動車道の津名一宮icで降りれば近いのですが、明石大橋を淡路島に渡ってすぐの、淡路サービスエリアで休憩しようと思ったのが間違いの元でした。

明石大橋を神戸側より渡ります。生憎の曇天。

連休初日とあって、淡路サービスエリアの駐車場入り口は大渋滞。どうしようか迷ったのですが、そのままハンドルを右に切って出口に向かい、高速を降りてしまいました。そのため、伊弉諾神宮までは一般道1時間の距離となってしまいました。

東浦の道の駅まで走り、休憩をしようと思ったのですが、考えが甘く、ここも人でいっぱい。しかたなくトイレだけ済まして山越えしながら伊弉諾神宮に向かいました。

淡路島の西のラインは観光コースからは外れているのか、意外と人は少なく、海は綺麗なのでお勧めです。淡路島の住民の方々の生活を垣間見ることができます。路は狭いですけどね。何度か走ったことがありますが、いつも同じ印象です。何はともあれ、1時間ほどで伊弉諾神宮に到着しました。カーナビ様さまです。

伊弉諾神宮

参道入り口の大鳥居は、阪神淡路大震災で倒壊したそうです。これは新しい鳥居なんですね。

住所は兵庫県淡路市多賀740。式内社(名神大社)、淡路国一宮。旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。主祭神は伊弉諾尊と伊弉冉尊です。イザナミ神も祭られています。

『幽宮御記』に祭神は「伊弉諾尊一柱也」とあるため、本来は伊弉諾尊のみを祀ったと考えられる。1931年(昭和6年)の「神社古文書写」に祭神に関する願上書があり、「当社は幽宮伝承(後述を参照)の神社で神位も一品の極位で、社格も官幣大社である。伊弉諾尊と伊弉冉尊の2神が国産み・神産みを行ったのであり、『延喜式神名帳』所載の座数に関係なく2神が祭祀されるべきであるが、明治3年(1870年)に名東県より伊弉諾尊1柱とされた。これは摂社末社が公認されるのに不当である。1930年(昭和5年)本殿を開くと伊弉冉尊も伝来のまま祭祀されていたので、資料を添えて願い奉るとの内容で伊弉諾尊と伊弉冉尊の2神を祀る許可を求めたところ、1932年(昭和7年)内務大臣より「請祭神を配祀として増加の件聴届く」と許可があり、正式に2神を祀る形になった。

(2018年9月26日 (水) 10:56 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

名東県がイザナミを合祀することに反対したということでしょうか?名東県は当時の徳島県のことで、淡路島も徳島県だった時期です。徳島県にはイザナミ神社があったからでしょうか?

古事記よればイザナギはスサノオの所業に大いに怒り、スサノオを海原より追放した後、「淡路の多賀にまします」とあります。多賀の地がイザナギの終焉の地、幽宮(かくりのみや)とされていますが、古事記には幽宮という表記は見当たりません。ただ単に「淡路の多賀にまします」と書かれているだけのようです。

余談ですが、スサノオはまるで台風ですね。太平洋岸で大暴れした後四国に上陸し、山岳地帯(高天原)にも甚大な被害をもたらします。

さて、大きくて立派な鳥居の奥には、これも大きな狛犬が2頭座っています。

向かって左の狛犬です。アングルでもわかるようにかなり高いところにいて、巨大です。

向かって右の狛犬。玉を咥えているのかと思いきや、狛犬の舌のようです。

参道入ってすぐ右側の石碑です。神を敬いながら生活しましょうという趣旨のようです。

碑の下には「君が代」が刻まれています。

実はこの右側に「さざれ石」が展示されていたのですが、撮影し損ねました。石碑を挟んでいる石もそうなのかもしれません。

「さざれ石」とは小さな石のことですが、その小さな石が集まって大きな岩となったものを「巌」としているようです。

今上陛下ご即位20周年記念の碑が共にあります。平成21年の碑でしょうか。

そして参道。

映っているのは見ず知らずのご夫婦です。お許しを。なにぶん連休中なので、かなりな参拝者の方がいました。幟が立っているのは、この夜に「神楽」があるそうで、そのお祭りをやっていたからです。時間的に見ることはできませんでした。

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