大麻比古神社行1

大麻町・おおあさちょう

大麻町は阿讃山脈の東の端、南側に位置する鳴門市の一番西側の町です。どうも阿讃山脈というのは徳島県側の通称のようで、本来は讃岐山脈というのが正解のようです。しかしながら徳島県側では阿讃山脈と呼んでいます。

現に大麻町から阿讃山脈を北に超えても、鳴門市の北灘町というところに出るので、少なくともあの辺りは讃岐山脈ではないと思うのですが。と、徳島県側が屁理屈を並べても、香川県側からしたら、何言ってんの?って感じでしょうか。

まあ、徳島県も香川県も、ついでに高知県も、合併、分離を繰り返してきた歴史がありますから。と言っても廃藩置県の時代ですが。

明治4(1871)年7月の廃藩置県で「徳島県」が設置されましたが、11月には「名東県」に改称、1873年2月には香川県を編入して名東県の管轄としました(1875年9月まで)。明治9年8月には旧淡路国が兵庫県に編入され、旧阿波国も高知県の管轄となり名東県が廃されました。そして、明治13年に徳島県が再設置され、現在に至っています。徳島県のHP

大麻町は「おおあさちょう」と読みます。「たいまちょう」ではありませんので。

徳島県は麻のと関係が深い地です。現吉野川市も以前は麻植郡と呼称していました。麻植郡の地名は古代に阿波忌部氏が麻を植え天皇家に献上したことなどが関係しているのでしょう。

何故、麻植の名を消滅させたのでしょうね。

現在でも天皇が即位される時の儀式に「大嘗祭」というのが行なわれます。その時に天皇なられる方(皇太子)が「麁服(あらたえ)」という麻の衣を羽織ることで天皇となられるわけです。

「あらたえ」は阿波忌部氏の末裔で、徳島県の剣山の麓にある木屋平村の「三木家」のみが麻を植え、「あらたえ」を製作、献上する任を担っています。

今回は神社の話なので阿波忌部氏等の話はまたの機会に。

大麻比古神社参道入り口の大鳥居

今日はいい天気でした。この大鳥居をくぐると、両側に灯篭の並んだ参道がしばらく続きます。灯篭の後ろの木は、クスノキが多かったように思います。以前は松が並んでいたそうですが、松くい虫にやられて枯れてしまったそうです。

大鳥居をくぐらず、すぐ右側に天神社が造営されています。

大麻比古神社の末社とされています。学問の神様とありますので、菅原道真公が祭神かと思われます。菅原道真公は大宰府に左遷される折、大阪から乗った船が嵐に遭遇し、阿波国に流れ着き、しばらく滞在された記録があります。

大麻比古神社参道

大鳥居をくぐると、しばらく参道が続きます。参道は車で進入できます。両側には灯篭と木が並んでいますが、民家もあり、わき道が交差しています。車も通行できますし、対向できるくらいの広さがあります。

参道を突き詰めると橋を渡ります。朱塗りの欄干の派手な橋です。

この橋は「はらいかわ橋」といいます。橋の下は川ですが、水はほとんど流れていないと思います。この橋も車で渡れます。「はらいかわ橋」を渡って正面にまた鳥居があります。そこが本殿の入り口です。鳥居の向こうに駐車場がありますが、10台ほどしか停めることができません。神社の繁忙期は橋手前左側に大きな駐車場があります。そこに駐車して歩いて渡ります。

渡ってから振り返って撮影しました。

つづく

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