大八島後の六島1

瀬戸内海の島々

国生みにおいて、イザナギ、イザナミが8番目の大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)生んだ後に、さらに六島を生む表記がなされています。これは何なの?主に瀬戸内海の島や半島のようですが、記載する必要があったのでしょうか?よくわかりません。

たぶん瀬戸内海には海賊ならぬ海人族が群雄割拠していたのではと思います。それぞれが縄張りを持ち、近隣の瀬戸内海を支配していたのではないかと思うのです。それをひとつひとつ潰していったのでしょうか。文面は簡素で、想像の域を出ませんが。

然ありて後還ります時に、吉備(きび)の児島(こじま)を生みたまひき。またの名は建日方別(たけひかたわけ)といふ。次に小豆島(あづきしま)を生みたまひき。またの名は大野手比売(おほのてひめ)といふ。次に大島(おほしま)を生みたまひき。またの名は大多麻流別(おほたまるわけ)といふ。次に女島(ひめしま)を生みたまひき。またの名は天一根(あめひとつね)といふ。次に知珂(ちか)の島を生みたまひき。またの名は天の忍男(おしを)。次に両児(ふたご)の島を生みたまひき。またの名は天の両屋(ふたや)といふ。吉備の児島より天の両島まで併わせて六島。

  • 吉備(きび)の児島(こじま) 建日方別(たけひかたわけ) 岡山県の児島半島
  • 小豆島(あづきしま) 大野手比売(おほのてひめ) 香川県の小豆島
  • 大島(おほしま) 大多麻流別(おほたまるわけ) 山口県の周防大島
  • 女島(ひめしま) 天一根(あめひとつね) 大分県の姫島
  • 知珂(ちか)の島 天の忍男(おしを) 長崎県の五島列島
  • 両児(ふたご)の島 天の両屋(ふたや) 不明

文頭に「然ありて後」とありますが、「然ありて」は接続詞で「そうして、そこで」という意味でしょうから、国生みが終わった後という意味でしょう。「還ります時に、」は何かを成して帰還しているということでしょうか。まとめれば「大八島を征服した後、続いて(ついでに)」みたいに思えます。行き掛けの駄賃ですね。

吉備(きび)の児島(こじま)

吉備は岡山県全域と広島県東部、瀬戸内海の島々(香川県の島を含む)に跨る大国です。児島は現在の児島半島です。児島が半島になったのは江戸時代の中期ごろ。干拓によるものです。それまでは島嶼であったようです。

児島は半島ではなく島だったのです。

島嶼(とうしょ)とは大小さまざまな島のこと。中国語では「島」とは別に小島を意味する「嶼」という言葉があり、これらをつなげて様々な大きさの島を意味する言葉ができた。常用外であることもあり、しばしば「島しょ」と表記される。

狭い地域に集中する2つ以上の島嶼の集まりを「島嶼群」、島嶼群の集まり、もしくは大規模な島嶼群を「諸島」という。諸島のうち列状に並ぶものは「列島」、塊状の形状をなすものは「群島」と呼ばれる。

(2018年7月29日 (日) 12:46 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

神名は建日方別(たけひかたわけ)。建がついているので、吉備地方と戦争をやって占領したのでしょう。大八島を征服した後の話なので、この地域だけが抵抗していたのかもしれません。

小豆島(あづきしま)

香川県の小豆島のことです。明治維新後に徳島県であったこともあります。昔、バイクに乗っていた頃にツーリングで訪れたことがあり、かなり親近感のある島です。古代は吉備の国に属していたのですね。地図で見てもかなり大きな島です。

小豆島もヒメの神名がつく島で、大野手比売(おほのてひめ)といいます。国生みでは4件目ですね。ヒメのつく地は重要な地域と思われます。また、吉備の小豆島なので、穀物の名前が2重になっています。(吉備を黍とみなしてですが)穀物の名のつく地名も重要ポイントかもしれません。粟国しかりです。調べないといけませんね。

エネルギーが切れたのでまた後日。

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