どうして旅に出なかったんだ

東京にて

Once Upon a Time 

環八沿いにあった友人のアパートを出て向かったのは、場所は忘れたけど、当時は結構有名なライブハウスじゃなかったのかな。ライブハウスが環八沿いだったのかもしれません。なにしろ40年も昔の話です。

ライブハウスは開店していましたが、時間が早かったのかほとんど客は入っていませんでした。今時のライブハウスはステージがあるようですが、たぶんステージなどはなく、普段あるテーブルや椅子を退けて、演奏するスペースをつくるみたいな店だったと思います。

カウンターがあって、そこに男性が座っていました。私は背中合わせになる形ですぐ側のテーブル席に座りました。何かを注文して何かを飲んだのだと思います。テーブル席に座ってから気づいたのですがカウンター席の男性は友部正人さんでした。

背中で彼を感じながらなどと書くと浮ついた文書になりそうですが、多分に意識して座っていました。手を伸ばせば届く距離に彼は座っていました。でも私は彼と接触がしたくてここに来たのではありませんでした。そういうのは嫌でした。話しかけることもなく、時間だけを待っていました。

いつかライブが始まりました。開演時間になっても客は入りませんでした。私以外は数組。私は彼のほぼ正面の席に座って彼の歌を聴きました。印象的だったのは、途中歌詞を間違えたのか、首を横に振って歌いなおしたのです。

彼の言葉は、彼そのものからほとばしるものだと思っていました。いくらでも沸いてくるものだと。それがそうではなくて、搾り出した言葉を、一言一句大切にしているのだと知りました。少し彼を身近に感じました。

記憶はそれだけです。いつだったのか、彼が何を歌ったのかは覚えていません。レコードで聞いた、彼の声そのままに彼は歌っていました。

大阪にて

友部正人さんを知ったのは大阪でした。

私はしばらくの間、大阪のあるところにある大学の学生寮に転がり込んでいました。私は大学生ですらなかったのです。その後、大学には入りましたが、その頃はたぶん、プータローでした。

仕事もせず、高校時代の友人を頼って、その学生寮に長期滞在していたのです。友人にとっては迷惑な話です。常識人となった今ならそう思うのですが、その頃はなにもかも平気でした。人の金で飯を喰い、酒まで飲んでいました。

金はある奴が払えばいいというような人間でした。きっと、嫌われていたのかも知れません。その頃の私は、何も考えずただただ生きていました。

滞在していた友人の寮には、もう一人高校の同級生が暮らしていました。彼は高校の頃から音楽好きで、いろいろ詳しい人だったのです。その彼の部屋にも出入りしていました。

まじめな人だったので、入り浸るまではいきませんでしたが、彼にいろんなアーティストを教えてもらいました。その中の一人が友部正人さんだったのです。

音楽にはあまり興味のなかった私ですが、友人の中では歌が上手かった(自画自賛)し、ギターも弾けたので、彼とはアマバンしたこともあったのです。きっと、音楽好きだと勘違いして、いろいろ教えてくれたのだと思います。

徳島にて

その後、せっかく入った大学を途中でやめて、故郷に戻ってきました。アマバンなんかでギターを弾き、歌を歌いましたが、熱中はしませんでした。それほど音楽が好きだったわけではなかったのでしょう。

故郷に帰ってからは家の仕事を手伝いながら、一般的な若者の生活をしていました。そのうちに海に通うようになり、サーフィン一色の毎日を送るようになりました。ギターを弾いてはいましたが、人前でやることはなくなりそれっきりでした。

数十年がたちました。

サーフィンはやめましたが、ギターは相変わらず弾いていました。何度も言いますが、歌はわりと上手いので、弾き語りもしていました。人前ではなくね。

ある日、友部正人さんの「どうして旅に出なかったんだ」のアルバムにある、「君のからだはまるで」の歌詞を知りたくなりました。レコードを取り出してみると、歌詞カードが入っていません。過去に取り出してどこかにいってしまったのだと思います。

ネットで歌詞を探したのですが、マイナーな曲なのか、私の検索がまずいのか出てきません。

そこで、CDを購入することにし、amazonで注文しました。

タイトルが「1976」に変わっていました。アルバムには「もうずっと長いあいだ」という知らない曲がプラスされていました。さすがに歌詞カードは入っていました。

誰もぼくの絵を描けないだろう

なんか、とりとめのない話になってしまいましたが、私は友部正人さんの熱狂的なファンなどではなかったのです。ライブを見に行ったのもたまたまその日やっていたからだと思うのです。

音楽やアーティストに熱狂したことが無いのです。

アルバムも2枚しか持っていません。その2枚以外の曲は「はじめぼくはひとりだった」という曲しか知りません。どちらかと言うと「誰もぼくの絵を描けないだろう」のほうが好きです。

特に表題曲の「誰もぼくの絵を描けないだろう」が友部正人さんのイメージです。

大昔、大阪の同級生の部屋で、アルバム「にんじん」も聞きましたが、もう忘れたし、改めて聞こうとも思っていません。全部の曲を聴きたいとか思わないのです。

音楽に思い入れがないのです(しつこい)。

友部正人さんを教えてくれた同級生は早くにこの世を去りました。私は彼をある意味リスペクトしていました。それは今でもです。思い出すこともそうないけどね。

音楽オンチのたまたま思い出した音楽の話でした。

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