津島(対馬)と佐度島(佐渡)

国境の島 対馬

対馬は韓半島、ひいては中国に相対する日本の要とも言える島です。その歴史を紐解けば、誰もが知る日本史の舞台となっていることに気づきます。大陸から押し寄せる勢力、または日本国内から出ようとする勢力がこの地で様々な歴史的行動を見せています。改めて大変な場所だなと思うのです。にもかかわらず、国生みでは簡単な言葉で対馬を記しています。

次に津島を生みたまひき。またの名を天の天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)といふ。

対馬でなく津島と書くのはなにか意味があるのでしょうか。また、天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)の別名を持つことにも注目です。別(わけ)がつくような支店ぽい名前ではなく、ヒメの名がつくことは、何かしら重要な場所であることが想像されます。大八島国でヒメの名のつく国(場所)は3箇所しかありません。

  • 愛比売(えひめ)伊予国
  • 大宜都比売(おほげつひめ)阿波国
  • 天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)津島(対馬)

伊予国、阿波国はいわば本店です。本店にのみ許されるヒメの称号がついている場所は、大八島国内で対馬しかないわけです。天神族にとって重要な島である事は間違いないでしょう。

重要なの意味ですが、国防の島としての重要さは計り知れません。現在でも最前線の島なのですから、これは疑うべきものではありません。問題は国防以外で、天神族にとってどのような意味をもった島であるかということです。

初めて女神の名がついた島

イザナギ、イザナミが天の御柱を回って出会う前は、日本国は女神の国だったのでしょう。イザナミが先にイザナギをナンパしたことでも証明できそうです。男尊女卑の思想が入ってきたことにより女性が先に声をかけてはいけないというような表記にいたっているのだと思います。

これは、アマテラスがスサノオに殺された(このブログではそう見ています)あたりから始まったことではないかとも思うのです。

ヒメの名がついた最初の島にもかかわらず、天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)の情報は少ないです。そのうちどこかで会うこともあると思います。それを願って今回は置きます。

神名のない島 佐渡

対馬から佐度島(さどのしま)へは、かなり距離的にも飛びます。大八島の7番目の島になりますが、冠する神の名も記されておらず、何故この島が大八島に入っているのだろうと思ってしまいます。このへん無知なのでお許しください。

大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)を占領してから佐渡へ進行したのならわかりますが、佐渡を占領してから大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)へ進行となるわけですから、どういう理屈なんでしょうね。海人族たる天神族は前哨基地として飛島を先に占拠するのが得意技だったのでしょうか。

それとも、大八島の8番目には大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)を持ってくること前提で、佐渡を挟み込んだのかもしれません。なんにしろ神名くらいつければいいと思うのですが。淡路島を役に立たない島としたことの対比でしょうか。


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佐渡といえば流刑地、または金山を思い浮かべます。佐渡の農業が活性化したのは江戸時代からのようです。その原因はゴールドラッシュ。

江戸時代初期に金山が発見された佐渡島は、江戸幕府直轄の天領となり、豊富な金銀の産出で隆盛を極めました。

江戸時代、金銀山の採掘やそれに関わる商売を目当てに、全国各地から労働者や商人たちが、佐渡に集まり、人口は最大10万人にものぼりました。農業や漁業で細々と生計を立てていた、日本海に浮かぶ小さな島は、まさにゴールドラッシュ。

島に流入したたくさんの人々の食をまかなうために、島民たちは山の斜面を開墾して棚田を作り、需要に応じて農産物の増産に励みました。これらの水田に用水をくみ上げるために、金山の坑内排水技術「水上輪(すいしょうりん)」が活用されました。ここで生産された米や野菜は、供給が追いつかないほどの需要があり、生産した分だけ高値で売れました。

佐渡の農業が育む生物多様性 農林水産省(2018年7月28日11時39分)

古代では農業は盛んではなく、農耕地も少なかったと思われます。淡路島と同様、農耕的には役に立たない島とされたのかと思います。佐渡の方には申し訳ない話です。

追記 2018年11月17日

国生みの段を読み返していたら、佐渡で終わっているのを発見しました。これはまずい。

次に生んだのは、大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)つまり本州の一部です。

日本の本州の古代の呼称。日本最古の歴史書『古事記』(712年献上)では「大倭豊秋津島」(おおやまととよあきつしま)、また、同じく歴史書『日本書紀』(720年完成)では「大日本豊秋津洲」(おおやまととよあきつしま)と、表記している。

日本神話においては、神武天皇が国土を一望してトンボのようだと言ったことが由来とされている。

秋津島 Wikipedia 2018年11月17日14時23分

秋津とは秋の虫でトンボのことを指すようです。秋は収穫の季節で、稲穂に群れるトンボを見て、本州を平定した安堵感をかみ締めている神武天皇がイメージできます。それとも、どこか高台から領地を眺めてほんとにトンボに似ていると思ったのかな?

大倭豊秋津島はまたの名を、天つ御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)といいます。根別がついていますので、そう重要な地ではないようです。国生みでの記載はこれだけです。

当ブログでは、国生みとしていますが、国産みが正解のようです。特に意図はあるません。

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