大麻町の宇志比古神社に参拝2

宇志比古神社

創建年は不詳。天正年間(1573年-1593年)に長宗我部元親の乱入により社殿、古記録、社宝を焼失したが、後に再興された。江戸時代には八幡宮と呼ばれ、明治以降に宇志比古神社を称している。

宇志比古神社(2018年6月20日 (水) 22:59 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

明治以前は八幡神社だったようです。明治3年に民生局より八幡神社から宇志比古神社への改名を命ぜられたそうです。強制というわけですが、明治初期といえば、新政府が歴史の書き換え(仮定です)をしていた時期であると思います。八幡神社では、不都合なことでもあったのでしょうか?八幡神社は日本全国に44000社もある神社です。八幡神社が不都合ではなく、宇志比古神社の名を残す必要があったのでしょうか。

御祭神は以下の4神です。

  • 宇志比古尊
  • 応神天皇
  • 仁徳天皇
  • 神功皇后

宇志比古尊をウィキペディアで調べると丹波道主命が出てきます。

丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと/たにはのみちぬしのみこと、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族(王族)。

「丹波道主命」・「丹波道主王」、『古事記』では「丹波比古多多須美知能宇斯王(たんば(たには)ひこたたすみちのうしのみこ)」と表記される。

第9代開化天皇の皇孫で、第12代景行天皇の外祖父である。四道将軍の1人で、丹波に派遣されたという。

丹波道主命(2018年6月20日 (水) 21:56 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

丹波道主命についてはまたの機会に調べたいと思います。

神紋について

神紋は2つあるようです。普通1つじゃないかと思うのですが、何故2つあるのでしょうか?

随神門にある「丸に違い矢筈(やはず)」です。拝殿や本殿にもあるはずですが、確認できませんでした。左右の鯉(ヒゲがあるから)がオモロイですね。とても昔の作とは思えません。

御幕にあるのは「丸に橘」。こちらは建物や石碑には見当たらない(見つけられない)ので新しいものかもしれません。建物は古いですからね。

  • 八幡神社の神紋 丸に違い矢筈
  • 宇志比古神社の神紋 丸に橘

かもですね。

昭和御大禮記念碑

拝殿横にある石碑ですが、文字が薄くなっており、読むことができません。星マークの左右には、右から、「昭和御大記念碑」と書いてあると思います。「禮」は「礼」の旧字体なので、昭和天皇が即位された記念の碑のようです。星マークは何でしょうね。一筆書きの星マークは、五芒星といわれ、平安時代の陰陽師 安倍晴明が使っていた紋です。昭和天皇と星マークの結びつきはわかりませんでした。

参道入り口の石碑

参道入り口。鳴門池田線のすぐそばにある入り口です。参道は300mほどあるようです。両側の注連石の奥に鳥居が見えます。鳥居手前、左には御神輿を置く台でしょうか。神社にはよくあるようです。右側には石碑があります。鳥居の奥には狛犬が居ます。

目的の石碑です。

上部には横文字で「義*正路」とあります。*が読めない(文字ははっきりしているが学がない)ので想像ですが、「義は、人の正路なり」という孟子の言葉の中にある一説ににています。「義とは人にとって誠に正しい道だ。」というような意でしょうか。

書き出しは、板野郡堀江村に廟あり、宇志比古神社~競馬の場に接する二等道路云々。・・・漢文なんか読めるか(涙)読めれば何の碑文かわかるのですが、読めません。

鳥居から随神門までは、約300mの直線道路です。馬場だったということでしょう。

後ろから4行目の下は「守銭之奴」とか後ろから3行目の一番上は「人面非人」とか、刺激的な四文字熟語が並んでいます。読めたら面白そうです。

まー本日は断念。最後に大正4年1月立石とあります。

あとがき

実は宇志比古神社の近くに、もう一つの宇志比古神社があります。当日は知らなくて、ブログ書いてて地図を見たら2箇所あるのでびっくり。小さな祠があるだけのようですが、近日中に行って、撮影してきます。宇志比古神社が興味を引く神社というわけではなく、県内最古の本殿があるということで参拝しました。近場なのでまた参拝したいと思います。

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